2006年 07月 19日
新規コンタクト |
ドイツ・ニュースダイジェストに「新規会員募集」の要項を掲載してもらって可也経つが、昨日ASAI様という方から、今シーズン初のMailを頂戴しました。ローマ字でのMailでしたので日本語Fontの環境以外と判断しております。よって本Blogにて「Bozemann FFC」とはなんぞという事を記したいと思ってます。
<発足動機&その歩み>
2001年10月、当方ロンドンよりDUSへスライド赴任。UKでFF(*Fly Fishingの意)と出会い楽しみを知ってしまった。前情報ではドイツではライセンス取得が難しくこの趣味が継続できないと危惧していた。
偶然DUSのとある掲示板で伝説の釣りキチ夫婦(帰国)と知り合うことになる。しかしドイツでFFを続けていく上で、どうしてもライセンスというハードルを越えることが出来なくて隣国のオランダ、ベルギーへ忠犬さんと一緒に釣りに出かける。そこでコムさん&小林さん(帰国)と出会う。
約2シーズンはドイツでの釣りは出来ず、毎度毎度遠征ばかりしていたのである。
>コムさんとイタリアまで遠征に出かけましたねぇー。今考えるとあの情熱は凄かった。
同時にFrankfurtのFJMTさん&Rさん(帰国)にUKでお世話になっていた2名さん(帰国)が加わり、活発な情報交換が始まる。同じドイツとは言えFRAでは「移民局」にて即ライセンス発行をしてもらえるという事実を知り、うらやましい感情と妬みで一杯。何故か2名さんのみライセンスをもらえなかったと言う事も思い出になる笑い話である。(ライセンスの偽造を試みた・爆)
FRA軍団はR団長を軸に独自にドイツ南部の釣場開拓を進めたのである。
2004年DUSで岩○さん(帰国)と知り合うことになる。当時彼は法律専門(特許)の仕事に従事されており彼の経験に基づいたNego&功績のおかげで、DUS地区に住む我々にもドイツライセンスが取得できる方法(テストを受けなくても良い抜け穴?)を編み出したのである。同じ時期にベルギーのハードコア核弾頭、Brusselsさんも入会。魚屋さんの登場もこの頃であった。
ライセンス取得以降、ドイツでの渓流散策が始まる。特にベルギーのKomiさん(帰国)が発見したオランダ語の「ドイツ釣り場Book」は画期的なものであった。エイフェル地区の渓流が我々の本拠地になったのである。Komiさんは「イワイ直系のお弟子さんであり」その突出したFF技術で、アマチュアレベルの我々とは一線を画した「LL釣法」を披露、我々のFF技術向上の羅針盤となってくれたのである。DUSにT弘さんが入会。しかし残念ながら直ぐにParisへ転勤。98専務もこの頃入会。
FRA軍団からRさんが脱退。チェコへ転勤。チェコの渓流が凄まじい魚影という報を聞き、多数のBozemannが週末チェコ入りし釣行を楽しんだ。2005ではDUSに待望の新人T山さんが入会。モンシャウで当時化け物サイズであったブラウン42cmを釣り上げて会員皆度肝を抜いた。ゲロル攻めという流行語もありましたね。「Reelが焦げたとか、手が臭いとか」。ベルギーバストーニュでの「都市別対抗戦」も楽しい思い出です
<Bozemann発足>
2004年に会名をBozemannと決めたときが最初と記憶します。正しい?
同時にワッペンも100枚限定で作成しました。
<目的>
仕事・家族に支障をきたさない範疇で、FFを愉しむ。人的ネットワークを広げ欧州でのFFライフを純粋に愉しむ。煽り、煽られ道具に関して見識を深めウンチクを語る。釣り場の情報交換。釣行の企画
とゆう感じです。長くなりましたがBozemann FFCに興味を持って頂けましたか?
欧州の釣り環境は、日本に比べて格段に優れたものです。しかし情報入手が難しいのが難点。一人で愉しむより、皆でワイワイとというのがコンセプトでもあります。
<発足動機&その歩み>
2001年10月、当方ロンドンよりDUSへスライド赴任。UKでFF(*Fly Fishingの意)と出会い楽しみを知ってしまった。前情報ではドイツではライセンス取得が難しくこの趣味が継続できないと危惧していた。
偶然DUSのとある掲示板で伝説の釣りキチ夫婦(帰国)と知り合うことになる。しかしドイツでFFを続けていく上で、どうしてもライセンスというハードルを越えることが出来なくて隣国のオランダ、ベルギーへ忠犬さんと一緒に釣りに出かける。そこでコムさん&小林さん(帰国)と出会う。
約2シーズンはドイツでの釣りは出来ず、毎度毎度遠征ばかりしていたのである。
>コムさんとイタリアまで遠征に出かけましたねぇー。今考えるとあの情熱は凄かった。
同時にFrankfurtのFJMTさん&Rさん(帰国)にUKでお世話になっていた2名さん(帰国)が加わり、活発な情報交換が始まる。同じドイツとは言えFRAでは「移民局」にて即ライセンス発行をしてもらえるという事実を知り、うらやましい感情と妬みで一杯。何故か2名さんのみライセンスをもらえなかったと言う事も思い出になる笑い話である。(ライセンスの偽造を試みた・爆)
FRA軍団はR団長を軸に独自にドイツ南部の釣場開拓を進めたのである。
2004年DUSで岩○さん(帰国)と知り合うことになる。当時彼は法律専門(特許)の仕事に従事されており彼の経験に基づいたNego&功績のおかげで、DUS地区に住む我々にもドイツライセンスが取得できる方法(テストを受けなくても良い抜け穴?)を編み出したのである。同じ時期にベルギーのハードコア核弾頭、Brusselsさんも入会。魚屋さんの登場もこの頃であった。
ライセンス取得以降、ドイツでの渓流散策が始まる。特にベルギーのKomiさん(帰国)が発見したオランダ語の「ドイツ釣り場Book」は画期的なものであった。エイフェル地区の渓流が我々の本拠地になったのである。Komiさんは「イワイ直系のお弟子さんであり」その突出したFF技術で、アマチュアレベルの我々とは一線を画した「LL釣法」を披露、我々のFF技術向上の羅針盤となってくれたのである。DUSにT弘さんが入会。しかし残念ながら直ぐにParisへ転勤。98専務もこの頃入会。
FRA軍団からRさんが脱退。チェコへ転勤。チェコの渓流が凄まじい魚影という報を聞き、多数のBozemannが週末チェコ入りし釣行を楽しんだ。2005ではDUSに待望の新人T山さんが入会。モンシャウで当時化け物サイズであったブラウン42cmを釣り上げて会員皆度肝を抜いた。ゲロル攻めという流行語もありましたね。「Reelが焦げたとか、手が臭いとか」。ベルギーバストーニュでの「都市別対抗戦」も楽しい思い出です
<Bozemann発足>
2004年に会名をBozemannと決めたときが最初と記憶します。正しい?
同時にワッペンも100枚限定で作成しました。
<目的>
仕事・家族に支障をきたさない範疇で、FFを愉しむ。人的ネットワークを広げ欧州でのFFライフを純粋に愉しむ。煽り、煽られ道具に関して見識を深めウンチクを語る。釣り場の情報交換。釣行の企画
とゆう感じです。長くなりましたがBozemann FFCに興味を持って頂けましたか?
欧州の釣り環境は、日本に比べて格段に優れたものです。しかし情報入手が難しいのが難点。一人で愉しむより、皆でワイワイとというのがコンセプトでもあります。
by troutbum2000
| 2006-07-19 19:22
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