2006年 02月 28日
ベルリン |
週末が3連休だったので、ベルリンまで週末観光旅行をしてきました。
1871年プロイセンによる「ドイツ帝国」の首都となり、ワイマール共和国時代には「黄金の20年代」としてパリにも負けない栄光の絶頂期を迎える。この時代に創造された表現主義、絵画、映画&芸術が今のドイツ芸術のルーツになっているといっても過言でもない。
しかし世界大戦敗戦後、ベルリンは東西に分割。歴史の渦の中で翻弄され続けたベルリン。
ヴィム・ベンダース監督の映画「ベルリン・天使の詩」で使われた「勝利記念塔・ジーゲレスゾイレ」は6月17日通り(Str.des17.Juni)の西側に位置し、東西を一直線に結ぶ道を進むとブランデンブルグ門に到着することができる。
98年に欧州出張で初めて訪問、ベルリンを上空から見たときに、壁とそれ以外の場所のコントラストがはっきりしており、驚いたことが思い出されます。
以来ベルリン再訪の機会が無かったのですが、特に東ドイツが妙に近代化しており時の流れを感じて帰ってきたところです。あと何年もすると「東ドイツ」という場所は歴史(博物館)の世界のみに語られるのかもしれません。その前に「東ドイツ」を体験できたことは意義がありました。冷戦。ソ連邦の崩壊、色々とベルリンは背負ってきたんですね。
さてベルリンって大都会だし芸術ルーツがあり、戦争で全て焼かれたけど醸し出す街の雰囲気はすごいと思う。特に60年代に発展したポストモダニズムは戦争でヒトラーに「文化」を抑制されていた「情熱」が、建築&芸術家の作品として花開いており、その例としてベルリンフィルハーモニー会場内はドイツ人の気質を垣間見た気がしました。(ベルリンフィルは、かのカラヤンが生前に指揮を取った世界一と名高いフィルハーモニー。日本のサントリーホールがデザイン真似たことで有名---指揮者を取り囲む形で、客席を設けた世界初めてのホール。'63年建設)。
肝心の釣具屋ですが、一軒ホテルの近くに発見できたものの、Closeしてました。残念・・・
1871年プロイセンによる「ドイツ帝国」の首都となり、ワイマール共和国時代には「黄金の20年代」としてパリにも負けない栄光の絶頂期を迎える。この時代に創造された表現主義、絵画、映画&芸術が今のドイツ芸術のルーツになっているといっても過言でもない。
しかし世界大戦敗戦後、ベルリンは東西に分割。歴史の渦の中で翻弄され続けたベルリン。
ヴィム・ベンダース監督の映画「ベルリン・天使の詩」で使われた「勝利記念塔・ジーゲレスゾイレ」は6月17日通り(Str.des17.Juni)の西側に位置し、東西を一直線に結ぶ道を進むとブランデンブルグ門に到着することができる。
98年に欧州出張で初めて訪問、ベルリンを上空から見たときに、壁とそれ以外の場所のコントラストがはっきりしており、驚いたことが思い出されます。
以来ベルリン再訪の機会が無かったのですが、特に東ドイツが妙に近代化しており時の流れを感じて帰ってきたところです。あと何年もすると「東ドイツ」という場所は歴史(博物館)の世界のみに語られるのかもしれません。その前に「東ドイツ」を体験できたことは意義がありました。冷戦。ソ連邦の崩壊、色々とベルリンは背負ってきたんですね。
さてベルリンって大都会だし芸術ルーツがあり、戦争で全て焼かれたけど醸し出す街の雰囲気はすごいと思う。特に60年代に発展したポストモダニズムは戦争でヒトラーに「文化」を抑制されていた「情熱」が、建築&芸術家の作品として花開いており、その例としてベルリンフィルハーモニー会場内はドイツ人の気質を垣間見た気がしました。(ベルリンフィルは、かのカラヤンが生前に指揮を取った世界一と名高いフィルハーモニー。日本のサントリーホールがデザイン真似たことで有名---指揮者を取り囲む形で、客席を設けた世界初めてのホール。'63年建設)。
肝心の釣具屋ですが、一軒ホテルの近くに発見できたものの、Closeしてました。残念・・・
by troutbum2000
| 2006-02-28 20:10
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